5年前のあの日も、この夢で目覚めた。
隣で眠るスコールの顔を見て、安心して、リノアは再び目を閉じた。
その日は、バラム・ガーデンで2回目の《魔女会議》が開かれる予定であった。
いつになく険しい表情をしたスコールを、彼の部屋から見送った覚えがある。
ドアを開ける前、スコールは振り返った。
『リノア、大丈夫だ。何があっても、守ってみせる』
そう言って、スコールはリノアを抱きしめた。
* * *
しかし、バラム・ガーデンで行われた《魔女会議》は、魔女リノアのバラム追放の決断を下した。
その下された結果をリノアを知らせたのは、他でもないスコールであった。
そのときの彼の様子はいつもと少し違っていたことをリノアは覚えている。
『………リノア。よく聞いてくれ………』
抱きしめられ、耳元で彼の低い声が響く。
『俺と一緒に……ここを出よう………』
それはリノアの心に重く響く言葉であった。
彼はいろいろなものを投げ出すつもりだ。
自分とここを出るために………
それがどれくらい大きなものなのかは、分からなかったけど………
胸が苦しくなった………
自分が魔女でなかったら―――
彼にそんな選択をさせることはなかったのに―――
スコールのことだから、魔女である自分を受け入れてくれる場所を選ぶだろう。
だから、今の状況からすると、エスタやガルバディアは考えにくいことは明らかであった。
ガルバディアは、魔女イデアに洗脳されたテリング政権の爪痕が残っており、魔女に対する反感や恐怖は大きかった。
エスタは月の涙の被害から完全に立ち直ったわけではなく、過去に魔女アデルに支配された背景がある。いくら魔女に対して寛容な大統領がいたとしても、エスタの中には魔女に対していい感情を持っていないことも明らかだ。科学技術が進んでいる反面、その力を再び利用しようと企む人間もいる。また一方で、魔女封印を唱える者もいるようで、スコールはいつもあの国を警戒していた。
本来ならば、スコールのような優秀な兵士は二大国のどちらかへ入隊し、軍人としてのキャリアを築いていくのが常である。
しかし、それを選ばないことは、今のスコールから、見て取るように分かった。
そのアイスブルーの瞳から、彼の「決意」が感じとれたから。
リノアが受け入れられるところであれば、どこでも構わない。
そう言わんばかりの決意がそこにあった。
その決意は、リノアへの想いが成すものであったが、彼が自分の人生を犠牲にしていることを考えると、苦しかった。
こうやって、魔女である自分は、彼の可能性を奪って―――
ただ守られて―――
彼は自分を庇って、傷ついて―――
それなのに自分は、
彼に何もしてあげられなくて―――
こうして戦いから彼が帰ってくることを待つことしか出来なくて―――
この先それはずっと続くのだろう。
ガーデンを出れば、そんな未来が待っているのだろう。
それを考えると、苦しくてたまらなかった。
「ごめん、行かなきゃ...........」
スコールは、リノアに「一緒にここを出よう」と告げ、部屋を後にした。多忙な毎日を送っているスコールをこうして見送ることは慣れている。
いつものように、リノアは部屋に残った。
(だめ.......スコールのそばにいたいのなら、もっと強くならなきゃ.......)
彼みたいに。
リノアは首に下げたチェーンに通した指輪を確かめる。
(強くならなきゃ..........)
彼のように..........
(グリーヴァ........)
ガルバディアガーデンに突入する前、スコールが教えてくれた、彼が名付けた伝説の獣ライオンの名前だ。
あのときから、この指輪はリノアにとって特別なものだ。
彼みたいに強くなりたい。そう思って、一緒にいること、そして戦うことを決めたから。
スコールとリノアの2人だけが知っている特別な名前..........
(ん?ふたりだけじゃない........)
もう1人、いた。
この名前を呼ぶ者が.........
歪められた時空に存在するアルティミシア城。
そこで、過去・現在・未来、すべてを取り込もうと、玉座に身を携える魔女アルティミシア。
その姿を見た途端に、嫌な予感がした。
禍々しい容貌のよりも、彼女の背中に生えたあの黒い翼に寒気が走った。
自分が魔女の力を放つときに見える「白い翼」とは対照的な「黒い翼」ーーーーーー
そして、その嫌な予感は未来の魔女アルティミシアーーーー彼女の「ある言葉」を持って確信に変わった。
未来の魔女アルティミシアは確かにこう言った。
『ふふっ。記憶がなくなる?本当のG.F.の恐ろしさはそんなものではない。
G.F.の真の恐ろしさ、きさまに教えてやろう。その力、見せてやれ!グリーヴァ!』
(………グリーヴァ)
『このライ……オン?って名前はあるの?』
ガルバディアガーデン交戦前、スコールが教えてくれた。
彼が付けた、想像上の動物の名前。
強くて、誇り高い、伝説の獣。
―――どうして知っているの?
速くなる胸の鼓動。
それが、やめておけと本能的に警鐘を鳴らす。
でも、一度始めてしまった思考は止まらない。
記憶は次々と蘇る。
魔女アルティミシアとの戦い。
最後には、スコール以外は立てなくなっていた。
あの場にいた全員が、最後の一撃をスコールに託した。
アルティミシアの最後の姿ーーーーー
スコールには、どう見えただろう?
彼は気づいていただろうか。
消えゆく彼女の身体から舞い上がるのは、漆黒の羽根ではなく、わたしと同じ「白い羽根」であったことをーーーー
横たわったリノアの手元に落ちた1枚の白い羽根は、彼女が触れると同時に、時の彼方へ消えていった。
* * *
いつも見るあの夢.........
『誰か』の記憶じゃない。
あれは『わたし』の記憶なんだ。
魔女はその力を継承するまで死ぬことはできない。
スコールがいなくなってしまったら、どうなるんだろう........?魔女の力を継承することができなかったら........?
そうならないよう、世界中から女性を連れてきて、魔女の力が継承できるの試してみるのだ。
(ダメ!そんなことできない!)
(魔女アデルのやったことと、同じだわ!)
リノアは頭を振り、自分の考えたことを拭い去る。
魔女のいない騎士は、心を闇に染められると言う。
そして、悠久の時が、全てを忘れさせる。
自分も仲間も愛する人も........
そして時間だけが流れていく。
未来がこんなに恐ろしいなんて。
それだったら、未来なんて欲しくない。
今がずっと続いてほしい。
だったら、過去、現在、未来を全て一緒にしてしまえばいいじゃないか。
そこまで考えて、リノアは身体が震えた。
己の考えたことの恐ろしさのため、自身の身体を抱き締めた。
魔女になって、人に恐れられ、嫌われても仕方ないと思っていた。
それよりも、彼が真実を知ってしまって、彼を傷つけてしまうことの方が怖かった。
アルティミシアとの戦いのとき、最後に、あの未来の魔女の胸に剣を突き刺したのは、紛れもなくスコールであったから―――
このまま、スコールに守られて―――それで彼の一生の重荷になり―――そして、いつか、スコールがその真実に気付いてしまうのではないかと思うと、怖くて―――
―――彼の部屋の窓辺に寄り添いながら、そこまで考えると、思考はいつも停止した。
―――このまま時が止まってしまえばいいって何度も思った。
でも、現実は優しくない。
―――未来なんか欲しくない。今がずっと続いてほしい。
でも、時間は待ってはくれない。
にぎりしめても、ひらいたと同時に離れていく。
わたしはこの楽園を出なければならない。
そして、彼と共に生きて行くのか、それとも離れるのかという決断を下さなければなかった。
* * *
『………ティンバーへ行こうと思う』
ある日、遅くに帰ってきたスコールは雨に打たれ濡れた髪を構うことなく言った。
その言葉に、彼の決意があった。
いや、決意よりも、もっと強いもの。
もう彼の中では決まっていることなのかもしれない。
彼は既に、わたしの知らないところで、いろいろなものを犠牲にして、居場所を用意したのだろう。
『一緒に行こう………』
スコールのアイスブルーの目は、真っ直ぐリノアの黒曜石の瞳を捕えていた。
スコール………わたしは………
魔女アルティミシアは、本当は望んでいたのかもしれない。
彼に倒されることを。
『わたしがアルティミシアに操られて暴れたら……。SeeDは、わたしを倒しに来るでしょ?』
『SeeDのリーダーはスコール……。そして……。そしてスコールの剣がわたしの胸を……』
『でも、スコールならいいかな。スコール以外ならいやだな』
『ね、スコール。もし、そうなった時は……』
わたしは、アルティミシアなの。
アルティミシアはわたしなの。
未来の魔女アルティミシアは、現在の魔女リノアの、未来の姿なの―――!
* * *
ガーデンのスコールの自室で、リノアは彼を待っていた。
《魔女会議》から戻ってきて、彼が告げたことは、
「ここを一緒に出ること」であった。
「スコール………わたし………」
その声は震えていた。
言葉にしようにも、声が出ない。
次第に涙でスコールの顔が滲んで見える。
「あの.......ね.........」
しかし、リノアが搾り出そうとする言葉は彼の唇で塞がれた。
口づけはしだいに深くなり、彼の手がもどかしく自分の背中を這う。
彼とひとつになり―――触れられ、名を呼ばれるたびに、自分は魔女であることを忘れることができた。
結局のところ、自分は弱かったのだと思う。
彼が本当のことを知ってしまうという現実に、自分は耐えきれなかった。
来る未来を恐れるあまり、今、スコールと生きることは辛すぎた。
だから彼の元を去った。
彼が必死で守ろうとした者は、いずれ彼と戦うことになるであろう者であり、そして、彼自身の手で殺める者であったから。
あのティンバーへ発つ列車に乗るまで、「今」だけを見ていた。
未来のことを考えると、身動きが出来なかった。
彼に愛され、彼に引っ張られてここまで来れた。
彼と出会ってから今日までのことを振り返る。
辛いことも、苦しいこともあった。でも、なんとか乗り越えられた。スコールがいてくれたから。
(楽しかったなあ。ほんとうに......ほんとうに幸せだった)
駅のホームにいたとき、彼にもらった指輪を手に握りしめていた。
決断しなければ……
辛いとき、不安なときはいつもこの指輪を握りしめていた。
リノアは息を吸い込んで、唇からその言葉を出した。
『……わたし…、行けない………』
心臓がそのまま潰されてしまいそうだった。
潰されてもかまわないと思った。
『………リノア?』
心配そうに自分に呼びかける、彼の優しい声。
もう、二度とこの名を呼ばれることはない。
『………っ……スコールと………っ、一緒に………いられない………』
彼の胸に埋めていた顔をゆっくり上げた。
アイスブルーの瞳は、切なく揺れていた。
涙で視界が滲む。
―――これ、返さなきゃ。
彼のように強くなることを誓った指輪。
『これ返さないで、いなくなるなんてできないもん』
スコールの胸にもう一度顔を埋めながら、彼の胸ポケットにそっとその指輪を忍ばせた。
最後は笑顔で別れたかった。
彼が、自分の笑顔を好きだと言ってくれたから。
……今まで、こんなに私を守ってくれたのに
『………ごめんね』
魔女でもいいって言ってくれて、
わたしを守ってくれて、
―――わたしをこんなにも愛してくれて
『………ありがとう』
最後は笑顔で別れたかったのに、涙が溢れて頬を伝った。
発車ベルが、出発を告げる。
リノアは彼から自分の身を引き離した。
―――愛してる。