夢中で走りかけた先に、
わたしの場所などどこにもないように感じた。
ーーーーーー5年前、8月23日
リノアは大陸横断鉄道に揺られていた。他の客と同様の一般席に座っている。
行き先は、スコールと向かうはずであったティンバーではない。
彼女の故郷、ガルバディアであった。
考えても、考えても、この世界に自分の居場所は無かった。
最後に行き着いた先は、自分が一度は飛び出した家であった。
父親は、自分が魔女であることを知っている。
ガルバディアの人間の魔女に対する恐怖、嫌悪は相当なものであることもリノアは知っている。
………もしかしたら、追い返されるかもしれない。
そうなったとき、自分は………
そこで思考を無理に拭い去り、リノアは何も考えず、ただ揺れる車内の窓の縁を眺めた。
◇ ◇ ◇
17歳のとき、雇ったSeeDたち訪れて以来、デリングシティに来たことがなかった。
あの魔女の力によって惑わされていた妖しげな雰囲気は、もうこの街には漂っていなかった。
慣れた様子でバスに乗り「役人地区」へと向かう。
一体、何から話せばいいのだろうか……
バスが自分の家に近づくほど、身体が緊張で強ばった。
バスから降り、久しぶりの実家を見上げる。
白く重厚な建物。これは変わらなかった。
幼い時、優しい父、生前の母に愛され、なんの不自由も無く育った場所。
そして、いつからか窮屈さと退屈さを感じるようになった場所。
今は、自分が思いつく限り、最後の場所であった。
門前で茫然と立ち尽くすリノアの様子に、守衛兵が最初に気付いた。
「お嬢様!ドールに留学していたとお聞きしていましたが、お帰りになっていたんですか?!」
守衛兵は驚いた様子であった。
リノアはこの家を出たときから、ドールに留学しているということになっている。
娘が家出となれば、カーウェイ家の恥になる。あの男が考えそうなことだ、家出をしたばかりのときはそう思っていた。
しかし、今はそれに助けれているように思う。
「ええ」とリノアは控えめに返事をした。
「ささ、お入りください。総帥もお帰りになっていますから」
守衛兵は何の疑いも無く、リノアを招き入れた。
久しぶりの自分の家は、ただ静かであった。
この家から笑い声は消えた。
それは母が死んだ頃からであった。
母が他界した後、父は悲しみから背けるようにひたすら軍務に明け暮れ、その一方でリノアを束縛していった。
重い足取りのまま、父親の部屋のドアにたどり着いた。
決心を固め、ドアをノックした。
冷たい父親の返事が聞こえる。
リノアは恐る恐るドアのノブに手を掛けた。
「………リノア」
父親は木製の大きなデスクの向こうの椅子に座っていたが、娘の姿に無意識に立ち上がった。
「座りなさい」
それだけ言って、部屋の中央の椅子に手を向ける。
リノアは久しぶりに会った父親に、何かを言おうとしたものの、言葉が出なかった。
「お父さん……」
数年ぶりにこう呼んだ。
最後に父を呼んだときと今とは、状況があまりにも違いすぎた。
カーウェイは、魔女リノアがバラムを追放されたことをもちろん知っていた。
それは同時に、娘にとってこの世界に居場所がなくなることを知らせていた。
「………私にも覚悟は出来ている」
父はそれだけ言った。
リノアには、はじめこの言葉の意味が分からなかった。
魔女リノアが、かつて魔女に支配されたガルバディアにいることが世間に知らされてはただごとでは済まされない。
しかも、彼女はガルバディアで一番の権力者の娘であった。
最悪のシナリオがどうしても、頭をよぎってしまう。
しかし、それでもーーーーー
理屈ではないのだ。
「私だって人の親だ。たった一人の娘の最後の最後まで、味方でありたい……」
言葉の最後の方は震えていた。
泣き笑いかのような表情を浮かべながら、片手で顔を覆った。
その表情は、自分がこの家を飛び出す前よりかは老けて見えた。
それは自分のせいだとリノアは思った。
「お父さん、ごめんなさい………」
リノアはそう言って、再び俯いた。
大国の権力者たる男とその娘は過酷な運命に、ただうちひしがれるしかなかった。
* * *
5年前、スコールの元を離れてから、このガルバディアの家を飛び出したときから名乗っていたリノア・ハーティリーという名を捨てた。このハーティリーという名は母方の姓であった。
そして、リノア・カーウェイとしてガルバディアで生活をすることになった。
リノア・カーウェイは16歳のとき、つまり、彼女が家を飛び出したときから、ドールに留学に行ったことになっているので、彼女がガルバディアで生活していても、周りの人間には留学先から実家に戻ったと思われている。
そして、「魔女リノア」は、バラム追放後、かつては海洋調査人工島にて、エスタ・がルバディア両国により監視されているということになっている。
表向きにはーーー
海洋調査人工等は、現在どの国の領土にもなっていないので、魔女が監視される場所として国際的な衝突は起こらなかった。
カーウェイ氏とエスタ大統領ラグナ・レウァールの間には、密かにホットラインが引かれており、後に、この表向きの事実は作られた。
そして、リノアはこのカーウェイ邸で暮らすことになった。
始めはぎこちなかった。
家の中で、この鳥籠のような場所で、ずっと暮らすのだと思っていたのだ。
でもそれでは逆に、周りに疑いの勘が働くとカーウェイは考え、思い切って彼はリノアを外に出そうとした。
『お前はカーウェイ家の娘なのだ。だから、それとして振る舞えばいい』
そう言って、リノアをガルバディア将校の娘として表に出すようにした。
館長とは古からのよしみであったので、彼に相談して、ガルバディア国立図書館でリノアを働かせた。ここならば自分の目の届く範囲であるし、政治や戦争のにおいを漂わせる者も寄り付かない。
何よりも、こちらが困るくらいに元気で明るい娘が、自宅の窓辺でただ茫然と外を見ている姿を見るのは、父親として耐え難いものがあったのだ。
リノアがこの家を訪れた後日、バラムから連れてこられた愛犬のおかげもあって、彼女は少しずつ明るさを取り戻していった。
しかし、カーウェイ家の娘として、なんの不満も不足もない生活を送ってはいたものの、彼女の心の奥底の闇を完全に取り除くことはできなかった。
ときどきリノアが見せる曇った表情を、カーウェイは複雑な心境で見ていた。
◇ ◇ ◇
「………………………」
リノアは目を開け、意識を5年前から現在に戻す。
ティンバーへ向かう大陸横断列車の特別車両に乗り、彼女は移りゆく景色を眺めた。
ティンバーに『彼』がいると考えると、胸が苦しくなる。平然を保っていられなくなる。
『僕たちはもう大人になった』
『会ったとしても、仕事だよ』
アーヴァインがいつか言っていたことを思い出し、自分を落ち着かせる。
そう、あれから5年も経ったのだ。
辛い記憶は、時間が忘れさせてくれる…………
完全になくなることはなくてもーーーー
* * *
ティンバー独立記念式典、当日。
スコール・レオンハートはティンバー軍総本部の彼の執務室にいた。
本来なら、通常通り勤務する日だったが、急遽代理として、独立記念式典のパーティーに出席するよう言い渡された。
そのため、ティンバー軍伝統の緑の正装軍服に身を纏っていた。
ノック音が響き、スコールは返事をする。
「おはようございます、レオンハート准将」
「ああ、おはよう」
彼のフェイが部屋に入って挨拶をした。
「ダグナー統帥がお呼びです」
「わかった」
彼はそれだけ言うと、席を立ち上がり、その部屋を出て行った。
残されたフェイは、彼が完全にいなくなったのを確認すると、口元を手で覆った。
(かっこいい~!)
(やっぱ、正装が似合うわ~!)
ティンバー軍の正装には、2つ種類がある。
普段は動きやすいよう、腰までの丈の長さの上着を羽織る簡易正装と呼ばれるものを来ているのだが、本正装は式典などの国の催しの場合に着られることが多い。
本正装は、膝くらいまである上着を羽織る。肩には装飾が施され、長い丈の上着はスコールが動くたびにマントのようになびいた。
これは、彼女がティンバー軍入隊式のとき初めて彼を見たときの格好と同じである。
◇ ◇ ◇
「失礼します」
ダグナー統帥の部屋に入ると、彼は執務机の椅子に座り窓の外を向いていた。
スコールが部屋に入ると、くるりと椅子を回転させて、こちらを向いた。
「朝知らせた通り、君にはマルコ中佐の代理でパーティーに出席してもらう。彼の代わりにドールの代表と交渉してほしいのだ」
突然の依頼にもスコールは顔色一つ変えなかった。
ティンバーの将校たちの中には、その身分に実力が合わない者もいる。
長年のガルバディアの支配下だったため、上層部は腐敗してしまった。
だからスコールにこのように、急遽仕事が舞い込んでくることもしばしばあった。
ダグナー統帥は、パイプを口に加えた。
古い木製のパイプである。
「会場のホテルにサロンルームを用意した。パーティが行われている間、少し休むことを口実に、その部屋でドールのウィリアム公爵と落ち合うんだ。
「実際のところ、他国からの賓客も、君が出席した方が喜んでくれるだろう。こちらの姿勢は決まっている。君は我々の姿勢だけ伝え、向こうの意向を聞いてくれればいい」
「了解しました」
スコールは敬礼をして部屋を後にした。
◇ ◇ ◇
ティンバー独立記念式典。
そうそうたる政財界の人間たちが集まり、独立記念日を迎えたことを祝うスピーチを述べていた。
そして、最後には互いに握手を交わす。
ティンバーの新聞記者たちはその姿をカメラに収める。
片方の手では互いに握り合い、もう片方の手にはナイフを隠し持っている。そんな攻防が陰で繰り広げられているとも知らずに。
スコールはずっと、会場の片隅で警備の統率を取っていた。
式典が終わり、会場を出てロビーに向かい、人々は迎えの車に乗り込んでいる。
スコールは、その人々が確実に車に乗り込んで行くのを確認していた。
そのとき、ある人物が目に留まった。
(フューリー・カーウェイ………)
かつての宗主国の最高権力者もこの式典に顔を出していた。
カーウェイはいつもの険しい顔つきで迎えの黒塗りの車に向かっていた。
運転手が後ろのドアを開ける。
その瞬間、彼は車の向こう側にいるスコールの方を見たように思えた。
ガルバディア人特有の真っ黒な瞳とスコールの瞳がぶつかった。
そして、何事も無かったかのように車に乗り込んだ。
高級車が通り去って行くのをスコールは静かに見届けた。
(確かに俺のことを見ていた………)
スコールは浮かび上がる疑念を拭い捨て、彼も次の仕事場所に向かうために車に乗り込んだ。
◇ ◇ ◇
式典後のパーティーは乾杯とともに始まり、華やかさを極めていた。
政財界の要人のみならず、各界の著名人も集まり賑わっていた。
スコールは自分に乾杯を交わしてくる何人かと軽く話をした。
社交辞令を程々にして、スコールは一人壁際に寄った。
ウエイターが微笑みながらシャンパングラスを渡してきた。
彼はそれを右手で受け取り、シャンパンを喉に流し込んだ。
(こういうのは、苦手なんだ)
空を見上げると、天井ガラスには一つ流れ星が落ちるのを見た。
オーケストラの演奏する曲が優雅なワルツに変わった。
そう、こんな夜に、スコールは「彼女」と出会ったのだ。
彼の記憶は、バラム・ガーデンにいたころに遡る。
しかし、視界を天井からパーティー会場へ戻しても、
自分と同じようにその流れ星に気がついた人は誰もいないーーーーー
パーティー会場の中央はダンスホールになっており、華やかな衣装に身を纏った男女は華麗にワルツを踊っていた。
この会場の雰囲気に飲まれること無く、彼は内心神経を研ぎすませて会場を見渡していた。
彼が会場をくまなくチェックしている理由はひとつ、用意されたサロンルームにウィリアム公爵が入るのを確認するためである。
なぜドールの公爵と落ち合う必要があるのか、それはドールの電波塔の利権問題であった。
会場の賑やかさに紛れて、ウィリアム公爵が何気なく挨拶を交わしながらサロンルームに移動するのが見えた。
スコールはシャンパンを飲み干して近くのボーイにグラスを渡すと、彼と同じようにその部屋に向かって行った。
ただ、パーティーの賑やかさから離れて少し休憩をするかのような素振りでサロンルームにスコールは入って行った。
既にウィリアム公爵は上品な刺繍が施された布ばりのソファーにどっぷりと腰を下ろしていた。
「待っていたよ」
神聖ドール帝国時代から近衛兵として、代々受け継がれていたウィリアム家のドール軍に対する権力は絶大であった。
「例の電波塔だな……ガルバディア軍に占領され、解放された後ずっと凍結したままだ」
ウィリアムは葉巻を取り出し、先に火をつけた。
「ティンバー軍であれば、有効活用出来る手だてはあります」
スコールは静かに言った。
ティンバーは情報通信に関しては長けた技術を誇っていた。
技術の高度さで言えば、已然鎖国状態エスタには劣るが。
「そうだな。ティンバーであれば、情報通信のインフラも整備されている。うまく使ってもらえるだろう」
「ただし、無料同然で貸すわけにはいかない。こちらにも、何か得することが無くてはな……」
ちらりとウィリアム公爵がスコールの顔色を伺う。しかし、スコールの顔色は変わらないままであった。
「もちろん、ティンバーがドールに通信技術の提供をします。電波塔を有効に活用するための共同利用ということになるでしょう。通信技術の利用・管理には腕のいい技術者が必要です。ドールの確かな腕を持った職人たちの雇用対策にもなるでしょう」
「それとティンバー産の鉱物の輸出に関しては、関税の引き下げ……こちらも可能でしょう。」
ほう、と言いながらウィリアム公爵は目を細めながらスコールを見た。
ドールはその国の歴史が古いだけあって、伝統工芸が受け継がれていた。そこから派生した高度な精密機器技術を持っていた。ドールには細かな作業を得意とする職人、技術者が多くいるのだ。
ドールは、ティンバーから安価で天然鉱物を買い取り、それをドールの技術で製品を作る。それをガルバディアに売る。ガルバディアの産業は安価で質の良いドールの製品に追い込まれる。
この構図が浮かんだ。これであれば、軍事力だけではなく、経済的にもガルバディアにダメージを与えることが出来る。
「支配された国同士、仲良く協力し合ってガルバディアを出し抜けようと言うわけだな」
ウィリアム公爵はにやりと笑った。
「ティンバーとドールが同盟を結んで、3年が経つが、実際のところ形だけで実体が伴っていない。不戦条約に留まる。ドールは神聖ドール帝国時代から受け継がれた伝統の国だ。それがあの野蛮なガルバディアによって汚された」
彼は険しく顔を歪めた。
ウィリアム公爵はガルバディアに支配され、屈辱に悶えた日々を思い出しているのだろうか。スコールの存在を忘れているかのように、唇を歯で噛んで、焦点を定めないままどこか見つめていた。
しかし、途中で我に返ってはっとなった。
表情を冷静な紳士に戻して、スコールの方を向いた。
「そちらの考えはわかった。だが、私だけでは決められない」
「軍事会議にかける。結果はそこで決まる」
それだけ言うと、彼は立ち上がった。
「話が分かっていただけて幸いです」
スコールは、ドアに手を掛けてサロンルームを出るウィリアム公爵に向かって、律儀に頭を下げた。
サロンルームにはスコールだけが残された。ワルツの優雅なメロディーが微かに聞こえる。
(……パーティはそろそろ終わる頃だろうか)
彼は腕時計を見た。あと少しでパーティーは終わる。
(……でも、まだ仕事が残っている。終わったら、本部に戻ろう)
スコールは一つ溜め息をついて、サロンルームを後にした。
◇ ◇ ◇
サロンルームから出ると、エレベーター付近には会場を出る人々が集まり出していた。
なるべく空いているようなところへ乗ろうと、彼は一番奥にあるエレベーターへ向かっていった。
エレベーターへ乗り込み、1Fのボタンを押す。
中には自分以外誰もいない。
[CLOSE]と示されたボタンを押そうと思ったそのとき、
急ぎ足で駆け込んできた人がいた。
* * *
そのエレベーターに飛び込んできた女性は、スコールの顔を見るや否や驚きで目を丸くしていた。
彼女は深紅のロングドレスで身を纏い、黒く長い髪を結っていた。
陶磁器のような白い肌に、そのドレスと黒髪は一層映えて見える。
突然の再会に、身体が硬直してしまった。
まさか………
夢じゃない、よな………?
一度乗りかけたエレベーターを彼女はすぐさま降りようとした。
でも、それは遅くて、彼女の意思とは反対に、エレベーターのドアは閉まってしまった。
二人の間に沈黙が流れる。
エレベータのフロアを示すランプに身体を向けながら、二人は立ち尽くした。
スコールは横目で隣の女性を横目で覗いた。
思わず見惚れてしまった、という表現が正しいのかもしれない。
自分と一緒に過ごした頃は少女らしいあどけなさがあったが、今の彼女には、熟れた果実のような艶かしさを漂わせていた。
それと同時に、凛と構えるその姿勢には、控えめな気品を保っていた。
「「…………………」」
二人は何も言わなかった。
:
:
15F
:
:
14F
:
:
エレベーターが徐々に1Fへと近づく。
フロアを表す数字が入ったランプはこのふたりだけの時間を刻々とを奪っていることを告げていた。
このまま二度と彼女に会うことは出来ないかもしれない。
:
:
10F
:
:
9F
:
:
8F
:
:
「リノア……」
そう言ってスコールはリノアの細い手首を手に取った。
急に身体に触れられたものだから、リノアの身体がびくっと反応した。
それは触れるのを拒むかのように見えて、スコールは悲しい気持ちになった。
そっと手を離した。
彼女はスコールに身体を向けたまま、黙って下を俯いていた。
ほんの僅かな時間だが、長い長い時間に感じた。
この沈黙にスコールは耐えられそうになかった。
(・・・どうしたらいい?)
聞きたいことは山ほどあるのだ。でも、恐くて動けない。彼女に尋ねて、自分を拒否する答えが返ってきたとしたら・・・
そして、やっとスコールから出た言葉はこれだった。
「…………変わりはないか?」
彼自身を拒絶も拒否もしないことを尋ねるしかなかった。
少しの沈黙の後ーーーーー
「・・・うん」
リノアは小さく頷いて答えた。
それを聞いたスコールは「そうか」と呟いた。もうこの言葉は相手に向けて言った言葉ではなかった。心の声が自然に口からこぼれたように感じた。
:
:
4F
:
:
3F
:
:
2F
:
:
:
ベルの音は、ふたりが離れることを意味していた。
彼女は人が賑わうロビーへ駆け出すように去っていった。
この光景はいつか見た覚えがある。
SeeDの就任パーティーで、彼女と初めて会ったときのことーーーーー
踊ろうと向こうから誘ってきたくせに、探していた人を見つけ、自分から人の輪の中へ消えてしまった。
俺はあのときも、リノアの背中を見つめていったっけ........
エレベーターを降り、彼女が消えていった先の空間を、スコールはいつまでも見つめていた。
* * *
リノアは駆けるようにエレベーターを出た。
まさか………夢じゃ……ないよね?
鼓動がその胸を激しく打って、彼にそれが悟られてしまわないように必死だった。
息が詰まりそうで、呼吸を整えるべく大きく息を吸って吐いた。
その姿は、悩ましい美しい女性の溜め息に周りには見えるらしく、ロビーを行き交う人々は視線を彼女に向けた。
もう会わないって決めたのに………
「リノア!」
急に名前を呼ばれ、リノアは、はっとなった。
振り返ると、父親が難しそうな顔をしていてこちらを見ていた。
………いけない!ロビーで待ち合わせしてた!
慌てて父の元へ駆け寄る。
父の傍らにはアーヴァインとアレンもいた。
「ごめんなさい!」
リノアは彼らの元に着くと、まず謝った。
「まったく……」
父は呆れた様子で息を吹いた。
(ティンバーに来た途端にこの様だ)
ティンバーを訪れてから、リノアはどこか抜けていた。
(……この原因は、あの、レオンハート准将なのか?)
視線の先、かなり遠くにスコールの姿が見えた。
ロビーで、来客相手に話をしていた。
「総帥……どうかなされましたか?」
目を細めて遠くを見つめるカーウェイに、アレンは尋ねた。
「いや……なんでもない。私とアレンはティンバーの先生方(政治家)にラウンジで飲まないかと誘われた。………リノア、お前はもう休みなさい。アーヴァインはリノアを頼む。報告は後だ」
リノアは頷いた。
「うん、そうするよ。おやすみなさい、お父さん」
「了解」とアーヴァインはそれだけ言って、頭を下げた。
「また明日」とアレンは言って、カーウェイと一緒にロビーの奥へと消えた。
その二人の姿が消えるのを見送って、アーヴァインはリノアの様子を伺った。彼は先ほどから彼女の様子がおかしいのに気づいていた。
「どうかしたのかい、リノア?」
「………………」
リノアは彼の問いに気づいたのか気づかないのか、黙ったままだった。
「リノア?」
「………あの人に会ったの…………」
どこに焦点を合わせているのかわからない視線のまま、リノアはそれだけ呟いた。
「………え?」
(まさかとは思うけど…………)
(スコール………キミは名簿には載っていなかったじゃないか~!)
アーヴァインは心の中で叫んだ。
アーヴァインが硬直してしまった様子だったので、リノアは聞こえていなかったと思ってもう一度言った。
「………あの人がいたのよ、アーヴァイン」
「うん……」
アーヴァインは控えめに返事をした。
「さっきそこのエレベーターで乗り合わせたのよ!」
リノアは今までの出来事を思い返し、興奮していた。
「………リノア、落ち着いて」
アーヴァインは彼女に冷静を取り戻させようとした。
多くの行き交うロビー、これ以上目立つのは好ましくない。
それに、彼女がどうしてこんなに動揺しているのか分からなかった。
リノアは自分から彼から離れることを決めたのではないか?
なのに、どうしてこんなに動揺しているんだ?
「…………もう、会わないって決めたのに………」
リノアは苦しそうに表情を歪めて呟いた。
「どうして………」
彼女は今にも泣きそうな表情だった。
ロビーに行き交う人々がなんだ?とこちらに視線を向けてくる。
興奮した様子でまくしたて、次は泣きそうな女性がいる。
傍らには優男らしき人。
「恋人同士の喧嘩か?」そんな好奇な目で人々は視線を向ける。
(………まずいぞ)
アーヴァインは心の中でうなった。
「リノア、とりあえず、部屋で休もうよ」
リノアの肩を持って、アーヴァインは彼女を部屋に連れて行くことにした。
部屋はこのパーティ会場と同じホテルに取ってある。
(リノア………ガルバディアに来て、やっと落ち着きを戻したのに………)
もう会わないと彼女は言っていた。それなのに、運命はそうさせてくれなかった。
アーヴァインは動揺しているリノアが心配だった。
彼は、リノアがガルバディアに戻って来てまもないころから、彼女の様子を知っている。
ガルバディアのエージェントとして、何よりも友人として、リノアを助けようとしていた。
最初の頃、リノアは家にずっと閉じこもっていた。
窓辺に佇み、茫然としていることが多かった。
彼女の居場所は世界の何処にもない、そう突きつけられたら誰だってそうなる。
そして、理由は分からないが、彼の元から彼女は去ってガルバディアに戻った。
アーヴァインは彼女がガーデンで明るく過ごしていた姿を知っていただけあって、そんなリノアの姿を見ると心が苦しかった。
もちろん不安もたくさんあっただろう。
本当は魔女である自分が、カーウェイ家の娘として暮らしていけるのだろうか?
彼女は魔女になって初めて、ガルバディアで「人間」として見てもらえた。
周りの人間は彼女が魔女であることを知らない。彼女はフューリー・カーウェイの娘リノア・カーウェイであるから。
人間として扱われたことすら、彼女は初め戸惑っていた。
そんなこと、当然のことなのに。
リノアにとって、普通、平凡、それまで無縁のことであった。
リノアはやっと普通の人間として生活していけるようになってきた。
友人や職場の人たちにも大切にされ、彼女に真剣に好意を抱く男まで現れた。
それが普通の人の幸せなのだ。
確かに、ガーデンにいたころ、彼女はずっとスコールと一緒なのだと思ってきたけれども、彼女が決めたことなら仕方の無いことであった。
(………リノア、スコールはキミにとってやっぱり「特別」な人なのかい?)
(………スコール、リノアのことを守るのはやっぱりキミなのでは……?)
アーヴァインは巡る思考をなんとか払拭して、リノアの肩を抱きながら、彼女の泊まる部屋まで連れて行った。
戸惑うリノアを、アーヴァインは部屋まで送ってくれた。
コップにミネラルウォーターを注いで、ベッドに腰掛けた彼女に渡した。
「……少しは落ち着いた?」
アーヴァインは安心させるよう微笑んでいた。
「………うん」
リノアはコップの水を少し飲んだ。
「リノア、きっと疲れているだろうから、今日はゆっくり休んで」
アーヴァインはこんなとき、落ち着きを取り戻させてくれる。
「うん、ありがとう。アーヴァイン」
リノアはコップを両手に持ったまま、彼に微笑んだ。
その笑顔にアーヴァインは安堵した。
「うん、おやすみ」
「おやすみなさい」
アーヴァインも彼女を安心させるべく微笑んで、部屋を出ようとした。
リノアも彼を見送ろうとドアに向かった。
アーヴァインが出て行った後、リノアはベッドに傾れ込んだ。
『…………変わりはないか?』
その言葉が頭の中で何度もよみがえる。
低く落ち着いた声。彼の声は心地良かった。
少し掠れていて、でも聞きやすくて、凛としていた。
返事をすると、それに対し彼は「そうか」と言った。
そのときはもう心臓が飛び出しそうだった。
最後に、彼に掴まれた左手首に少し触れる。
訓練に慣れた手は無骨なのだが、洗練された長い指。
手の甲の浮き出た筋も……何もかも。
彼に触れられた感触はまだ残っている。
もう会わないと決めたのに……。
だけど運命はそうさせてくれなかった。
世界でたったひとり、自分を守ってくれる騎士。
5年経っても気持ちは変わらない。
このことに気付いた自分がいた。
「スコール………」
ベッドに横になりながら、彼の名前を呟いた。
涙が零れ、頬を伝ってベッドのシーツに染み込んだ。
………でも、もう会えないよ。
明日、自分はガルバディアに帰る。
やはり、今回は運命のいたずらであって、この先会うことはないだろう。
それでいいのだ。
リノアは何度もそう自分に言い聞かせ、無理矢理に思考を遮断して眠りにつこうとした。