あのとき
彼女は何を言おうとしていたのだろうか……
自分は彼女の返事を聞かなかった。
今思えば、あんなもの、ただリノアを自分の手元に置いておきたい、そんな我が侭のための『契約』だった。
あのとき、お前は何を言おうとしていたんだ………?
リノア……
「スコール……」
リノアは心配そうな顔をしてスコールの部屋で彼を出迎えた。
「こんな遅くまで……何かあったの……?」
リノアはタオルを出して、少し濡れたスコールの髪を拭いた。
「いや、……すまない」
思った以上に帰りが遅くなり、リノアに心配を掛けてしまった。
彼女には、ティンバー大統領と会っていたことは伏せてある。
リノアは、彼は今日もいつも通りオフィスワークだと思っていたのだろう、だから尚更、帰りの遅い彼を心配していた。
「帰りが遅くなることをいい忘れてしまった……」
心配そうに自分を見つめていたリノアは、「そう」と小さく言って、持っていたタオルを洗濯カゴに入れた。
そしてキッチンへ向かっていった。食器が擦れる音がする。
きっと、豪雨の先から戻ってた彼に温かい飲み物を用意しているのだろう。
キッチンでリノアが自分のために動いている気配が感じられた。
少しくすぐったい、でも幸せな……
スコールはこの雰囲気が好きだった。
そう、自分はこんなふうに彼女と作る何気ない幸せな時間があればいいのだ。
スコールはデスクにしまわれていた椅子に掛けて、リノアにどう伝えようか考えていた。
「はい、どうぞ」
スコールが肘を掛けているデスクにマグカップに入ったコーヒーを置いた。
リノアはベットに腰かけて、ミルクティーの入ったカップを口元に当てた。
「リノア……」
スコールは少し飲んだコーヒーのカップをデスクに置いた。
そして、ベットに腰掛けるリノアの横に膝まづいた。
こうするとだいたい同じくらいの視線になる。
「……ん?どうしたの?」
スコールの様子に何かを感じ取ったのだろう、リノアは黒曜石の瞳で彼をじっと見つめた。
「……ティンバーへ行こうと思う」
彼を見つめるリノアの目は大きくなった。
ガルバディアの名家に生を受け、軍人である父親を持つリノアには、スコールが言う言葉の意味がよく分かった。
スコールのような優秀な傭兵が、ティンバーのような小国に行くはずがないのだ。
常識的に考えれば。
士官学校やガーデンなどの傭兵養成学校を経て、ガルバディアやエスタなどの大国の軍に入隊し、軍人として地位を登り詰めて行く……それがエリート兵の進む道である。
リノアはガルバディアにいるころから、若い兵士がそうやって歩む姿を見てきた。
彼は自分のために多くのものを犠牲にしようとしている。
彼ほど優秀な人を、世界中の人が待っていて、必要としている。
彼に出来ることがたくさんのあるはずなのに。
わたしがいるから、スコールは……。
「一緒に行こう……」
スコールはリノアの瞳を真っ直ぐ捉えた。
「スコール……」
リノアの唇がかすかに震えていた。
「スコール、わたし……」
リノアの言わんとするところをスコールは口付けて塞いだ。
抱き締めた彼女の身体は、強ばっていた。
消された灯かりの中、
時々走る雷の閃光が、重なる二人の影を照らした。
◇ ◇ ◇
………あのとき、彼女の返事を聞かなかった。
今思えば、聞かないようにしていたのかもしれない。
ティンバーへ行くことも、彼女に何の相談もしなかった。
あのときは、ガーデンを追われてリノアに居場所が無くなってしまう分、自分がしっかり彼女の居場所を作らなければ……
そんなふうに思っていた。
リノアには他の者に絶対に見せない心の闇がある……その確信めいたものが、余計にスコールを焦らせた。
だから、ガーデンを出たあとも何としても彼女を自分の近くに置いておきたかった。
そんなエゴだったのだろう。
自分は、自由の羽根を持った彼女に惹かれたのに……
彼女を縛り付けようとしているのは、他でもない、自分だった……
ティンバーに行くことを彼女に告げた夜から、リノアがあのとき何を言おうとしていたのか分からない。
それ以降、彼女もあのとき何を言おうとしたのか示すことはなかった。
そして、スコールは卒業の日を迎えた。
学園長から卒業証書をもらった後、大陸横断鉄道でティンバーに向かうことになっている。チケットは既に手配してある。
スコールが5歳で入学し、15年もの間過ごしたこのガーデンに別れを告げる日である。
別れではない。
これは出発の日だ。
リノアと二人で生きていくスタートだ。
そうなるはずであった……